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温泉が生物にもたらす作用——泉質がつくる生態系

泉質に関する読み物 — 成分・泉質名・分析表の読み方

2026年9月2日読了 8分
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温泉が生物にもたらす作用——泉質がつくる生態系

温泉の話は、しばしば「人間の健康」「入浴の気持ちよさ」に偏りがちです。しかし源泉は、入浴客の前から 微生物・藻類・昆虫・魚類まで含む生態系 の中心にあります。温泉のハイドロバイオーム——湯に住む微生物と肌酸性泉の湯虫——霧島温泉の極限環境生物で触れた個別の話を踏まえ、泉質が生物全体にどう作用するかを整理します。

温泉は「生物のふるい」になる

温泉水は、温度・pH・塩分濃度・重金属・硫化水素などの組み合わせによって、生きられる生物が一気に絞られます。

【ぬるめの単純温泉・弱アルカリ性】
➔ 魚類・水生昆虫・藻類・多様な微生物が共存しうる

【40〜50℃の硫黄・酸性系】
➔ 魚は消え、耐熱藻類と古細菌が主役。ユスリカ幼虫など少数の昆虫

【70℃超・強酸性】
➔ ほぼ微生物のみ(スルフォロブス属、シアノバクテリアなど)

つまり、同じ「温泉」でも、単純温泉の共同浴場と酸性泉の源泉溜まりでは、まったく別世界の生物相になります。泉質名は、人間の適応症だけでなく 「誰が生き残れるか」のラベル でもあるのです。

3つの環境要因が生物を決める

温度——生存の上限と下限

微生物の耐熱限界は種によって大きく異なります。好熱菌のサーマス(Thermus)やスルフォロブス(Sulfolobus)は70〜80℃付近、好熱性シアノバクテリアの Synechococcus lividus は約73℃が生育上限とされます。一方、ぬるめの温泉や湯尻(廃湯)では20℃前後を保てれば、グッピーなどの魚類も定着した例があります。

入浴で加水・加温すると、浴槽内の温度は源泉とは異なります。湯使いの種類の影響は、人間だけでなく 浴槽内にすみつく生物の種類 にも及びます。

pH——酸性とアルカリで住む者が変わる

日本の酸性温泉の多くは硫酸酸性です。強酸性(pH3以下)では、普通の珪藻や淡水プランクトンは消え、耐酸性の珪藻(例:Pinnularia acidojaponica)や紅藻類(イデユコゴメ Cyanidium など)が優占します。

アルカリ性の温泉では、炭酸塩の析出(トラバータイン)とともに、シアノバクテリアや好熱性細菌のマットが発達します。長野・中房温泉の研究では、炭酸固定速度が光合成に匹敵するほど高い微生物群集が報告されています。

化学組成——硫黄・鉄・塩分が食物網をつくる

硫黄泉では、硫化水素やチオ硫酸イオンを酸化する 硫黄酸化細菌 がエネルギーを得ます。光が届きにくい源泉付近では、これが一次生産(エネルギーの最初の供給源)になります。

石川・白山の地獄谷の研究(2024年)では、藻類の光合成がほとんどない酸性河川でも、硫黄酸化細菌を餌とするユスリカ類が 1平方メートルあたり数万〜数十万個体 も生息する「化学合成食物網」が示唆されました。酸性泉の湯虫——霧島温泉の極限環境生物で紹介した霧島のユスリカも、この仕組みの延長線上にあります。

含鉄泉では、鉄酸化細菌が鉄の析出を促し、湯の色や湯の花と析出物の形成に関わります。泉質が変われば、析出物の種類も変わり、そこに定着できる生物も変わります。

生物の階層——誰がどこにいるか

階層代表的な生物よく見る環境
微生物・アーキアスルフォロブス、サーマス、硫黄酸化細菌70℃超の強酸性、硫黄噴気地帯
藻類・藍藻イデユアイミドリ、シアノバクテリア、イデユコゴメ50〜73℃、pH2〜9の幅広い温泉
原生生物好熱性アメーバ、繊毛虫酸性温泉のマット内部
水生昆虫温泉ユスリカ、温泉アブ幼虫30〜50℃、酸性〜中性の温泉川・浴槽
魚類グッピー(移入種)など湯尻・廃湯の20℃前後の緩やかな流れ
高等植物温泉周辺の湿地植物(源泉直浴は稀)温泉の影響を受けた河川・湿原

高温の源泉そのものでは、ほとんど 微生物と藻類だけ が生きられます。ユスリカや温泉アブが見えるのは、源泉が冷めたり中性化したりした「縁の環境」であることが多いです。

生物同士のつながり——共生と食物網

温泉生物は単独では生きられません。

  • 微生物叢と昆虫:草津の未記載 Polypedilum 属ユスリカは、体内の共生細菌が酸・重金属耐性の鍵と考えられています(Microbes and Environments, 2024)。
  • 藻類と原生生物:日本の強酸性硫黄泉では、紅藻類 Cyanidiococcus を食べる好熱性アメーバが複数系統から独立に進化したことが報告されています(2025年)。
  • 析出物と細菌:硫黄谷温泉の研究では、硫黄酸化細菌の代謝が下流のpH低下と硫酸濃度上昇を引き起こし、さらに鉄酸化物の析出環境を変える——という 水―鉱物―微生物の連鎖 が示されています。

温泉入浴と腸活——腸内細菌叢の最新研究が示すように、人間の腸内細菌まで含めれば、温泉の影響は「皮膚の外」と「体内」の両方に及びうる——というのが最新の研究の視点です。

人間の利用が生物に与える影響

温泉施設の運営方法は、生態系にも直結します。

「虫がいる=不衛生」と「生態系が生きている=源泉の証」は、同じ現象の正反対の解釈になりえます。

地球の歴史を映す鏡としての温泉

温泉の生物相は、地球の過去を読み解く手がかりにもなります。

  • 強酸性の温泉は、地球初期の海洋環境の「縮図」と考えられ、古細菌の進化研究の場になっています。
  • 日本の5か所の鉄質中性温泉は、古代海洋に似た環境として微生物の多様性が調査されています(Microbes and Environments, 2024)。
  • 服部・二木らの温泉生物学の系統的調査(1950年代)では、日本全国で 植物390種超・動物289種超 が温泉に関連して記録され、泉質ごとの分布パターンが示されました。

入浴客にとっての「珍しい湯虫」も、科学者にとっては 生命の限界を探る標本 でもあるのです。

湯めぐりで意識できること

  • 源泉の掲示板だけでなく、湯川や足元の藻類・析出物 も生態系のヒントになります。
  • 温泉の色はなぜ変わる?湯の花と析出物の色は、鉄や硫黄の微生物代謝と関係していることがあります。
  • 生物を持ち帰ったり採取したりせず、観察と記録にとどめましょう。

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